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生活の中の性善説と性悪説

前述の通り、基本的には人の営みの中では、かなりの割合で暗黙の信頼関係が成り立っていて、大半の人は善人であるという性善説で社会が成り立っている。

 

ただ、一度悪意を持ったものが現れると、善意を持つ大半の人々もそのレベルで物事を判断する必要に陥り、極端な制限事項が発生、性悪説 - 人は誰でも悪いことをする - をベースのルールができてしまう。その中でまた少しでも異質な存在が生まれると自己ルールが自然発生的に生まれ - なぜかこれがマナーと呼ばれる - 、制限のスパイラルが発生する。

 

でも人が営む社会生活は数千年単位で行われ、現在の資本主義、自由主義社会が始まってからでも100年以上が経っているが、その割にはそこまで苦しい制限がかかっているとは思えず、相変わらず基本自由な社会が成り立っている。

 

あまり極端な制限がかかった場合はそれを破り、リセットする力が生まれるのだろうか?

過去の人を酷使したり、性差や特定の主義主張を持った人への差別などがなくなり、徐々に良い方向には進んではいる。そういった点では長期的にはやはり性善説がベースで成り立っているのだろうか?