日日是好日あるがままに。

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空気はなぜ浮いている?万有引力?

万有引力って、それぞれの物質が持っている引き合う力。そのお互いの力が釣り合ってるから今の世界が成り立っているという原理。

 

大気中で漂っている成分、窒素、酸素、二酸化炭素の分子は何と釣り合ってる?二酸化炭素は酸素より重いって言われているが、じゃなぜ階層にならないのか?

大気は地球の重力に引っ張られて地表付近に存在すると言われているが、それならなぜ、地中深くに溜まらないで、地表付近に漂っているわけ?

大地は砂や土が重力によって引き寄せられて固まっているけど、待機中の窒素、酸素分子はそれよりものすごーーーく小さいので、地表の砂や土よりは深くに沈むはず。

もしかしたら地球が自転しているので大気が混じり合って、引っ張られる力以上の力が横向きにかかっているのか?そうだとしたら公転の影響は?

 

ビーカーの中で蝋燭を燃やしていたら下の方から二酸化炭素が溜まって火が消えるし、火事なんかでも重いガスは下に溜まるというから一定の条件下だと気体の分子も階層になっている。

空気は風で流されて常にかき混ぜられているので階層にならないのはまだわかるけど、地表からある一定の高度の間に浮いているのはどうしても理解ができない。

 

 

 

 

実際の尺度

地球や宇宙、小さなものでいうと物質、分子原子などが図解されている物がたくさんあるが、結構実際の尺度と大きく異なる物がある。

例えば地球。地球の半径は約6,000Km、人間がなんとなく把握して、住んでいる場所は薄い薄い皮の部分でしかない。高い山で5Km程度、富士山は3.7Km。地球全体から見ると吹き出物にもならないくらい低い。

人間が一番深いと思っている海の底で10Km、大気があるのが100Kmくらいまで。

宇宙空間にいる宇宙船や宇宙ステーションもたかだか400Kmくらいの上空にいる。

 

月。直径約1,700Km、すごく小さい。で、いつも空に浮かんでいるので宇宙に出てすぐ近くにいる感覚でいるが、地球と月の距離は380,000Km。実際の尺度で書いてみようとすると、地球も月もただの点でしか描けない。そんなに小さなものがものすごく離れたところでお互いの引力で引き合っている。

太陽までの距離は約1億5千万Km!もう全体を表そうとすると、地球も月も小さくて見えなくなる。

 

図鑑とかで人の目でわかるように図解しているものはかなりデフォルメされているので実際の尺度で感じてみることも大事だと思う。

 

 

血流が悪いって?

よく血流が悪くて体に不調をきたすと言われることがあるけれど、どういうことなのか考えてみた。

 

・ 肩こり、腰痛等、体の痛み

・ 消化不良

・ 体の冷え

自分自身でもたまに起きることだが、血流、いわゆる血の流れが悪くなるだけで起きるのだろうか?

そもそも血流が悪いってどういうことなんだろう?大概の人はほぼ同じサイズ(体格比)の心臓を持ち合わせていて、だいたい同じような圧力で全身に血液を巡らせている。大動脈を流れる血液は枝分かれする血管を通り、毛細血管をくぐり抜け、細い血管が合流して大静脈を通じて心臓に戻る。戻った血液は肺で浄化され、また体を巡る。血液全体が一つの輪になった血管をぐるぐると回っている。

赤血球が体を一巡するのにかかる時間はたった1分程度らしい。結構なスピードだ。

次から次へと送られる血液が留まることは許されない。長時間座ったり同じ体勢をし続けると一部の血管が潰れてその周りの細胞に血液が行かなくなるということだろうか?でもだいたいの人間は一日日中は動き続けている。

運動不足で静脈をつたって帰ってくる血液の流れが悪くなるということだろうか?心臓を離れた血液が冷たくなって末端に留まる?いやいや、心臓から常に送られ続ける新しい血液によってどんどん押されて戻っていくはずだ。

 

これら(が合っていればだが)を鑑みると、血流云々というのは実はこんな理由?

・ 血液を流れる赤血球の量が絶対的に少ない(この場合は検査で見つかるだろうが。いわゆる貧血)

・ 定常的な血圧が低く、血液の循環速度が遅い(これも検査でわかる)

・ 肺でキチンと赤血球の浄化ができていない(二酸化炭素、老廃物が離れない。新しい酸素を保持することができない等)

・ 毛細血管を通じて末端にいった赤血球から栄養や酸素を細胞に渡すことができない

・ その他?

 

いずれにしても睡眠をよく取り、美味しいものを適切な量食べて、運動をして楽しく暮らせばこういった体調の改善につながることが多いので揉んだり押したりして血液を循環させる小手先の治療ではなくて、血流そのものではなく、血液、赤血球も含めた体全体を健全に保つのが良いのではないだろうか。

 

空気の中身、濃度

空気、大気とは窒素、酸素、二酸化炭素、その他の分子で構成されると漠然と言われているのだが、それは容量的には大気全体の何%を占めているのだろうか?

皆分子なので、重力の影響を受けて、低いところでは濃くなって、高度が上がればそれだけ薄くなる。宇宙空間ではそういった分子がない”真空”の状態になっている。

ただいくら空気の濃度が高くても分子がみっちりと詰まっているわけではなく、かなりの隙間が空いているのだろう。その間を光を含む電磁波や、素粒子なんかがひっきりなしに通り過ぎている。それでも電磁波や素粒子がほぼ干渉しないくらい隙間だらけなんだろう。

宇宙空間も多くの光り輝く星々(輝いているのは恒星のみでそれ以外にも惑星や衛星、その他の塊など無数になるだろうが、見ることすらできない)があるが、それでもそれぞれが数光年という距離があるスカスカの状態らしい。

 

この大気の中にもそういったスカスカの宇宙空間が広がっているんだろう。

 

細胞の年齢

以前にも細胞について疑問があり記述したのだが、全ての生物はたった一つの母親の卵細胞から分裂し、組織生態を構成する。ちなみに単細胞生物はそれそのものが分裂し、2つの個体となる。どちらが親でも子でもない。

なので、卵細胞そのものが分裂するのでどちらが元の細胞でも分裂した子細胞でもない。どちらも同列の年齢の細胞。という事は細胞そのものが歳をとることもなく、若返ることもない。

いわゆる細胞の老化とはなんなんだろう。想定するとこのような感じか。

細胞分裂を繰り返すのは特定の役割を持たない幹細胞のみ

・分化し細胞が役割を持った時点でその役割を果たすために力を使い、外的圧力を受けたり、傷ついたりする

・傷ついた分化細胞は役割を終え、自殺スイッチが入る

・細胞がいなくなった隙間に新たに幹細胞から生まれた分化細胞が入る

細胞そのものを構成する成分は日々食べている食事の成分からなるのだろうが、元々1つの卵細胞から分裂したので、人間の数兆個全ての細胞は同じ年齢ということになる。

もっというと、その卵細胞もその母親である細胞から分裂、その母親もそのまた母親の卵細胞から分裂したことを考えると、この世に生をなす全ての生物の細胞は同じ年齢ということになる。

生物多様性や、人種を超えて云々話題になるが、悠久の時を超えて受け継がれてきた細胞レベルのことを考えると極々微々たる話なのかもしれない。

 

全てがつながっているこの世の中、個体の域を超えて感じるものを得て行きたい。

 

歴史の主役

普通に考えれば当たり前の世界で、歴史学者の方々は当たり前のように前提にされているのかもしれないが、歴史の大半はその当時の為政者の記録である。

その時々の為政者が祭りごとを司っていたことには間違いはないが、人の営みはそれだけでは語ることができないはず。

前近代日本においても8割がたの国民は農民であったわけである。

米作の農民だけでなく、畑作や、漁業を行う人々を入れるとほぼ全ての国民は食糧生産に従事していたわけである。

テレビなどの時代劇に出てくる江戸の町民、武士はどちらも1割以下。

 

江戸時代より前から米は貨幣と同様に取り扱われ、為政者が為政者であるための石高を生み出すための農業生産者には全くフォーカスが当たっていない。

おそらく中世ヨーロッパにおける歴史学もそうなんであろう。

為政者同士が争い合い、大半の国民がそれに巻き込まれつつも、何事もなく、場合によってはそれをも利用して生活を営んでいた。

 

歴史自体が前述の通り、為政者の記録であるため、大半の人々の営みについては文献がないというのが大きな理由ではあるが、この辺りを紐解くと当時の本当の人の営みというのがみえてるくのではないか。

 

話は変わるが、最新の人口比率で見ると、農林水産に携わる人口比率は3%程度(それでも200万人になるが)。昔の手工業から大きく技術が進歩して、大きな収穫を少しの労力で得られるようになった結果のことだろう。海外からの輸入云々もあるのだろうが、なり手不足による従事者の減少というのは大きな要因なのだろうか?

それに比べて本来技術革新の波に乗らなければならないIT産業が相変わらず人の手作業に頼っている感がある。汎用化すればその分の労力が減るのか、それとも常に新しいサービス、市場を追い求めるために、汎用的な自動化が進まないのか。

 

 

 

質問相談に対する期待値のバイアス

困ったことや、わからないことに対して、他者に質問や相談をすることがよくある。

その質問の回答に対する期待値にかなりのバイアスがかかっている。それも期待値は個人によって大きく異なる。

医者に行って、体調が悪い旨相談した場合も、病気であるという期待値を持ってくる人と、問題はないという期待値を持ってくる人がいて、期待値によっては医師から同じ回答を受けても受け取り方が180度違ってくる。

質問や相談をする場合は期待値の偏りが一切ない状態で回答を受け取らないと自分に対して実になる意見にはならない。もちろん一人の人の意見だけでは足りないだろうから、複数の意見を総合的に鑑み、回答者の根本的な考え方も鑑みて自分なりの総合判断をすべきだと思う。

回答者の答えにはその人の心情、今まで生きてきた経緯、経験が多く含まれていて、そもそも自分とはかけ離れた観点で話しているかもしれない。

 

また、質問を受けた場合もそうだ。相手が自分に対してどのような期待値を持っているのかということをある程度理解した上で回答を考えなければならないし、その期待値に合わせすぎて忖度しても後々どこかでズレが生じてくるだろう。

 

質問する方も、される方もそれなりの洞察力と覚悟を持ってするべきだ。