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歴史の主役

普通に考えれば当たり前の世界で、歴史学者の方々は当たり前のように前提にされているのかもしれないが、歴史の大半はその当時の為政者の記録である。

その時々の為政者が祭りごとを司っていたことには間違いはないが、人の営みはそれだけでは語ることができないはず。

前近代日本においても8割がたの国民は農民であったわけである。

米作の農民だけでなく、畑作や、漁業を行う人々を入れるとほぼ全ての国民は食糧生産に従事していたわけである。

テレビなどの時代劇に出てくる江戸の町民、武士はどちらも1割以下。

 

江戸時代より前から米は貨幣と同様に取り扱われ、為政者が為政者であるための石高を生み出すための農業生産者には全くフォーカスが当たっていない。

おそらく中世ヨーロッパにおける歴史学もそうなんであろう。

為政者同士が争い合い、大半の国民がそれに巻き込まれつつも、何事もなく、場合によってはそれをも利用して生活を営んでいた。

 

歴史自体が前述の通り、為政者の記録であるため、大半の人々の営みについては文献がないというのが大きな理由ではあるが、この辺りを紐解くと当時の本当の人の営みというのがみえてるくのではないか。

 

話は変わるが、最新の人口比率で見ると、農林水産に携わる人口比率は3%程度(それでも200万人になるが)。昔の手工業から大きく技術が進歩して、大きな収穫を少しの労力で得られるようになった結果のことだろう。海外からの輸入云々もあるのだろうが、なり手不足による従事者の減少というのは大きな要因なのだろうか?

それに比べて本来技術革新の波に乗らなければならないIT産業が相変わらず人の手作業に頼っている感がある。汎用化すればその分の労力が減るのか、それとも常に新しいサービス、市場を追い求めるために、汎用的な自動化が進まないのか。